やみいちとは?


原始、芝居はやみいちであった

 やみいちは芝居のようなものをする。
 やみいちがするものは、全て、即興に基づいている。この点において、一般的な芝居とは少し趣が異なる。
 やみいちは役者のための芝居である。自分の台詞は自分で作る。それがやみいちだ。脚本はない。役柄に関する最低限の約束事があるだけだ。練習において、相手の台詞に返す形で自分の台詞/役柄を作っていく。演出もない。お互いの動き/ネタふり/困惑がそのまま演出となるのだ。
 元来芝居というのはそういうものであったのではないのか。
 今こそ、我々は叫ぶ。

 お前らだんどりつけすぎだぜ。

 約束事をどこまで守るか、は各人の仁義/義侠心に任されている。だからやみいちのメンバーは皆義人だ。
 まるで梁山泊のようだ。
 そんな義人が集まって作り上げたものなのに、何故毎度毎度これほどまでにくだらないのか、とあなたは不思議に思うかもしれない。それには、こう答えよう。
 梁山泊的存在/行動は、所詮、喜劇にしかなり得ないものなのだ、と。

 (オチをさがしている/考えているあなたは既にやみいち的/梁山泊的ではないな。)

(「シェフの友」のビラ裏の桶雅景総帥の文章)